CHATNOIR-NET
www.chatnoir.to 

初めて就いた職が通信キャリアであったせいもあって、通信工学や電子関係の分野に没頭しています。

90年代、当時の私は通信の自由化によって誕生したNCC(New Common Carrier)電力系通信会社のネットワークセンター内にて企業向け光高速デジタル専用線(いわゆる公専公接続)の回線開通試験や、D70型電話交換機の保守を担当していました。
当時の企業向け専用線の通信帯域は384kbps~6Mbps程度が主流で、利用料も下がったとはいえ今の水準から考えると非常に高額なものでした。

先の通信の自由化とともに解禁されたパソコン通信が盛り上がり、ナツメ社のBIG-Modelをホストプログラムに採用した草の根BBS設立・運営を行っておりました。今のような画像や映像のあるリッチコンテンツではなく、テキストベースの文字だけのコミュニケーションでしたが、とてもディープで楽しいものでした。当時はアナログモデムのネゴシエーションの音を聞いただけで接続通信速度が分かるほど聞いたものです。

やがてインターネットが日本で普及し始めたアンダーグラウンドな創世記からホームページを転々としながらも細々とやってきました。今のようなGoogleなどの検索エンジンも無かった時代ですから、人の手で作ったWEBリンクの網のどこからか辿って来た見ず知らずの日本人海外留学生からメールを貰ったりと、一喜一憂したものです。
通信の革新、インターネットの楽しさは黎明期にあったと思います。
今で言うキュレーションサイトのようなものはありませんでしたので、個人のディープなWEBサイトや、アングラサイトと多種多様な情報を集めた手作りサイトを巡り、週末は夜な夜な徘徊していたものです。
また各企業や個人がこの広大なネットワーク上で、一体何ができるのか、どんなサービスを作ったら人が集まるのか知恵を絞っていました。
P2Pファイル交換、インスタントメッセージングなど様々な物が生まれ、常に新しい技術とコミュニケーションで魅了された時でした。

いつの間にかインターネットの常時接続が当たり前の時代となり、ダイアルアップ接続のローカルISPが淘汰され、生活になくてはならないインフラとして大衆化し始めたころ、自宅でWEBとメールサーバーを立ち上げて運用しておりましたが、最終的には自宅サーバーが故障してデータ消失して以来、まともにやっていません。

FTTH普及の実質上の火付け役となったP2Pファイル交換はインターネット通信トラフィックを劇的に増大させましたが、近年トラフィックが減少し、YouTubeを代表とする動画配信勢のトラフィックが大半を占めるそうです。

近頃はホームページ作成ブームも去って、ブログも下火になりつつありますが、今だからこそ原点回帰で復活しようかなと目論んでいます。


2019.4.29 by Susumu Fukasawa